エロくもグロくもないナンセンスな日常

ユルい日常のとりとめのない記録

【ブックカバーチャレンジ】4日目

自ら積極的に発信するのは憚られるが、ここだけの話、不義密通って言葉、大げさすぎない?と思っている。決して不倫擁護の立場でなく、他人の、下半身事情に興味がないのです。

哲学者の千葉雅也さんも「また不倫ネタで騒いでるのか。個人の自由。何の問題でもない。ほんとにくだらない。」と言ってたぞ。

まあ、それで歴史が動いてきたわけだし、当事者にとってはやはり深刻なんだろうな、というのは想像できます。

でも、あの、登場人物が不倫するときの、

「来るぞ、来るぞ・・・。来たー!!」

っていう感じ、なんだかうんち漏らすときみたいで、ふふってなっちゃいます。

だから、暗夜行路の最後の

「まあ、なんだかんだすっげー悩んだけど、するよね」

って感じがクールでいいなって思ってます。

でもあれって直子の過失じゃないって、思うんですけどね!時代なんですかね!?

 

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【ブックカバーチャレンジ】3日目

思春期の頃、大人の嘘が嫌いだった。

自分の矛盾に気づかないのかな。辛いだけなのに、なんで自分に嘘をつくのだろう?

大人の嘘の中でも、私の一番の関心事が「自己犠牲」だった。

身勝手な自殺は責められるのに、誰かのために死を選ぶことは許される。

その違いってなんだろう。

どんな美談とされる自己犠牲であっても、どうせ自己満足だろ、と思っていた。

単なる自殺をなぜ、ありがたがっているのか分からなかった。

その行為を「偉い」「立派だ」と誉めそやす大人にも耐えられなかった。

しかし、一冊の漫画が与えてくれた気づきによって、

私は「自己犠牲」は尊い行為たりうること、

信念に従って生きることは美しいことを学んだ。

「自己犠牲」は、自分が考え抜いた末、その選択しかできない場合、

その選択に命を賭しても構わないと本人が納得している場合、

美しい。

私は「その選択しかできない」状況は経験したことがないし、

この先の人生でも、できれば遭遇したくない。

でも、万一、遭遇した場合に、事実に向き合って対処できるように、

心の準備をしていたいと思う。

 

直近では、

ジョジョラビット

ライフイズビューティフル

タクシー運転手~約束は海を越えて

が胸にグサグサ刺さった。

森鴎外の「山椒大夫」も好き。

根本敬の「でも、やるんだよ!」精神にも勇気をもらってます。

 

 

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【ブックカバーチャレンジ】2日目

※マンスプクソ野郎…マンスプレイニングに血道を上げる人たち


マンスプクソ野郎という言葉が頭にへばりついて離れない。ここ最近…いや、無意識レベルではここ20年来といっても過言ではない。山口敬之や広河隆一は言わずもがな、渡部建やらなんやらもみんなそうだ。世の中はマンスプクソ野郎に溢れており、私の見たところ、世界の男の半分以上はマンスプクソ野郎なのではないか。私も世論に倣って、マンスプクソ野郎どもを批判したい。あんたら、間違ってるよ、と。しかし、その声が喉まで出かかったところで、ふと立ち止まる。おい、待てよ。お前は女性の味方の皮を被ったマンスプクソ野郎ではないのか、と。

私自身の言動を振り返るに、後悔したかどうかに関わらず、客観的にマンスプクソ野郎的な言動をとってしまったことは多々あった。そして認めよう。それは反射的に出てしまうことすらある。そして気付いてしまったことにはマンスプクソ野郎的な何かは、私の本質的なものの一部分をなしており、矯正がかなり難しいレベルとなっているようにも思える。こんなにマンスプクソ野郎が嫌いなのに!この事実は、かなり長い間、私を苦しめたし、本来健全に保たれるべき自己肯定感を損ねた。

そんな悩みから解放されるために、はっきりとマンスプクソ野郎に石打つ側に回れば、楽になるのではないか、とも考えた。しかし、そんなことをしても、私自身の悩みが解決しないことは、すぐに分かった。なぜならマンスプクソ野郎に石打つ人間の中に、私の最も嫌悪する自己に無批判な正義マンが、大多数存在することに気づいたからだ。

そして今私は多くを学んだと思う。いや、その道の途中にある。マンスプクソ野郎と正義マンという言葉が気づかせてくれたことは、自分はアホだという紛れもない事実と、アホのままでいてはイカンのだ、という自己批判の精神だったのだ。

グレートギャツビーのトムブキャナンやハワーズエンドのヘンリーウィルコックスもマンスプクソ野郎の典型だし、彼らを冷ややかに見るものたちはみな正義マンだ。これらの作品が書かれた時代からみなマンスプクソ野郎的な何かや正義マン的な何かに悩んでいたのだ。

私はハワーズエンドのマーガレット嬢の言葉に私の希望を託したいと思う。権威に盲目的に従うものと、それによって抑圧されるものたちを「ただ、つなぎ合わせることができれば(only connect)」と。それに気づくことでマンスプクソ野郎にも正義マンにもならずにすむ人が少しでも増えることを祈っている。

 

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【ブックカバーチャレンジ】1日目

21の夏だったか、バイトあがりの深夜に先輩の家で飲むことになった。

先輩の家は私の大学の近くにあって、閑静な住宅街の中の木造アパートの1階だった。

職場では、無口だが男気があり熱血タイプの先輩は、私の目から見て、非の打ちどころのないスマートな先輩だった。その日までは。

「お邪魔します」

そう言って、築年数の積み重ねを感じる畳張りのワンルームの部屋にあがると、初めに目についたのは、古本と思われるちくま文庫の本が、ぎっしりと並んだ畳半分ほどの大きさの本棚だった。

本、読むんですね、と尋ねると、当たり前だろ、お前は読まないのか、と学生の身分でありながら勉強をさぼっていることで、親に対する気まずさを感じている私の気持ちを見透かすように突っ返された。

近所の24時間スーパーで買った缶ビールとつまみで、ささやかな宴会が始まり、お酒が進むと、先輩は饒舌になった。

俺は確かに親に仕送りしてもらってこんな生活しているけど、あまり偏差値の高くない大学に行ってるけど、親に恥ずかしくないように勉強はしてるよ。勉強してないヤツって恥ずかしくないのかな。俺は前から思ってたけど、頭はいいけど勉強してないヤツって人を馬鹿にしてるよな。お前もそうだろ?お前ってなんだかラスコーリニコフみたいだなって思ってたんだよ。罪と罰くらい読んでるだろ?

そのとき、私はいわゆる古典的小説とよばれる作品群は読みかじる程度で、真剣に向き合ったことなどなかった。そして先輩がなにをもって私をラスコーリニコフと見なしたのかとても知りたくなった。

何気ない日常のなかでの僅かな時間の出来事ではあったが、あとから振り返ると、私の20代の生き方はこの時の先輩との対話によって、何倍にも豊かになった。

その後、先輩は自らバイト先全員との連絡を絶ち、今では消息は知れないが、私は先輩への感謝を忘れたことはない。

 

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【映画】ミッドサマー ※ネタバレあり

TLで話題になっていたミッドサマーを観てきた。できるだけ前情報を入れないようにしていたので、面白かったらいいなと思って、映画館の椅子に座って、上映開始を待った。

 

映画はあまり期待に沿うものではなかった。自分は、映画をみるときには、やっぱりストーリーを一番大事に思ってる節がある。だがら、主題とストーリーを少しずらしたりとか、主題を行間に潜ませるみたいな映画は苦手なのだが、この映画は多分そっちに分類される映画だと思う。

言いたいことは沢山あるんだろうな、ということは分かるんだけど、どれもハッキリしないので、言いたいことあるなら、ちゃんと勝負せえ、と思ってしまった。

唯一、ダイレクトに伝わったのは「研究倫理を守らないと死ぬ」ということで、それが主題と考えるとストーリーにも納得する。むしろ、そういうコメディ映画だったのかと思うとスッキリする。研究倫理を守らないと死ぬというペイガニズムが主題だったとしたら、くだらなさにが最高に面白い。だって、ほんとうに不条理に死んじゃうんだぜ。研究倫理に違反してしまったら、もう死ぬことが宿命づけられちゃってる。そういう映画。

地面から足生えてたり、明らかに笑わせにきてる演出とか、ちょっと洒落臭いんだけど。

この結論はsaebou先生の感想からのパクりですが。。。 

https://saebou.hatenablog.com/entry/2020/03/05/155117

ともあれ、監督自身のインタビューで、どんな映画だったのか分かりますね。

https://www.google.co.jp/amp/s/spur.hpplus.jp/culture/marihagihara/202002/03/lTcUkkA/amp/


自分が批評するものを作った人がほとんど歳下って感じは焦る💦


【エッセイ】かなわない

最初は植本一子の普通の子育てエッセイなのですが、後半1/4あたりからメンヘラによるメンヘラモノローグエッセイに。


植本一子のような人にも、ボーダーの人にも、みな身近に心当たりはあるが、一子自身が述べるように、どれだけ近くにいても、私と彼らの間には途方もなく大きな隔たりがあり、どれだけ理解できたと思っても交わることはない。


私たちは他者について、まだ何も知らない。


松江哲明は私だ、と言った森達也には、どれだけ、この自覚があるのか…

【映画】ジョジョ・ラビット

飲み会では、最近、歳取って急に涙もろくなったという話をするのが定番ですが、

いやー、泣かされました。

作り物の話では絶対に泣かないと決めていた厨二病だったころが懐かしい。

すべてのマザコンに捧げられた映画の気がしました。

もう書き尽くされた主題ではありますが、

タイカ・ワイティティ監督という天才によって、

輝きをはなつ作品となったと思われます。

人間の愚かさについて反省して、

前を向いて生きていこうと思わせてくれる映画だったかと。

この映画の後に、シリアで爆弾が落ちたら笑おうのパパ娘がニュースになってて、

現実でもあるよなーと身につまされました。

クレンツェンドルフ大尉かっこよすぎや。

ライフイズビューティフル!

てかデヴィッドボウイ最高やな。